メモ【教材研究】カルマンうず列のつくり方
① 水400mLに、牛乳10mLを入れて、よく混ぜる
② ①をばっとの底から3mm程度の高さになるまで注ぐ
③ ばっとの端に、墨汁を4,5滴入れる
④ 水面が静かになったら、ストローを墨汁に立て、一定の速さでまっすぐ動かす。
⑤ どんな図形になったかな?
ストローの太さを変えるとどうなるか。
水の粘性を変えるとどうなるか。
速さを変えるとどうなるか。
教材研究【小学4年】水蒸気の正体を教えないためには・・・
水蒸気って目に見えません。
目に見えないがゆえに、どのようにして児童に感じさせたらよいか分かりませんよね。
どうしてもこの画像を見せると、どうしても先生は・・・
「白いのは水ですよ。見えないのが水蒸気です。水が気体になったものです」
と教え込む。教え込むと児童は覚えなければいけない。そうすると、実感が伴わない理科になってしまいます。さて、あなたはどのようにして、「見えないのが水蒸気」ということを児童に実感させますか?
① 実際に水蒸気を作る。
以下の図のように、熱湯にジャムのビンを入れます。ジャムのビンは煮沸して消毒されたりしますので、たとえ熱湯に入れても大丈夫です。
そうするとジャムの中に入っている熱湯は外気で冷やされ(これを冷水につけるとなおよい)、ジャムのお湯は気体になります。
では、この正体はなに?と児童に問いましょう。
時間がかかる実験なので、お湯が水蒸気になる間はもののあたたまり方の実験をさせるなどして、間延びさせない工夫をしてください。
でも、これは時間がかかるし、なかなかうまくいかないことも多いので、おすすめはしません。
② 身の回りの水蒸気を利用する
身の回りに水蒸気はあります。例えば、湿気。これは水蒸気ですね。
さて、私たちの身の回りで水蒸気を作り出しているのは何でしょう。
正解は、「私たち」。そう人間です。これなら、教材として申し分ないですね。
あとは、ある物品を美術室で借りてくるだけです(あるいは、100円均一店に駆け込むだけです)。それは、これです。
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トレーシングペーパーです。試しに、手の上にトレーシングペーパーの破片を載せてください。不思議な現象が起きますよ。あとは、セロハンでもできますね。
【教採受験者必見!?】それぞれの校種、どれが楽?
またまた、変なツイートを拝見いたしましたので、こんなことを書こうと思います。
いやはや、小学校と中学校と高等学校とでどれが楽ですか?ですって。そんなん、答えは。。。
人による
でしょう。アホかっつて。
まあ、それだけでは、味気がないので、私個人としての意見を書きましょう。
なんてったって私は、教員経験4年にして、小中高すべての校種を経験しましたので(笑)
① 小学校
小学校は何といっても「部活がない」という一言に尽きるでしょう。つまりは、土日休み。放課後は、教材研究となります。教科担任ではなく(これも、段階的に教科担任制にしていくみたいですが)、学級担任制です。児童が起こした問題はすべて学級担任になります。それでも抱えきれない場合、教頭などの管理職に相談となります。口述しますが、中学校ではこの報告はあまりないです。教科学習と学級活動とが一緒に行われますので、児童理解が早いです。また、教科の進み具合も学級担任ができます。カリキュラムを学級担任が行うことができるというわけです。例えば、1学期は総合的な学習の時間を多くし、2学期からは1学期でできなかった算数の授業を多めにし、総合的な学習は少なくする、といった感じです。休み時間も当然、担任裁量です。前時を早めに切り上げたり、延長したり、ですね。
②中学校
中学校は大規模校だと大変です。クラスに、アホもいれば賢い子もいる。割り算ができる子もいれば、できない子もいる。さて、こうした中で授業をするわけですから、大変ですね。当然、授業をエスケープする生徒も出てくるわけです。空き時間はそれらの対応に追われます。そしてなんといっても部活からは逃げられないでしょう。最近は少子化で野球部が成立しないなどの事象も起こっているみたいですが、部活がしたくて中学校の教員になる人もいるくらいです。中学生が部活をするわけですから、大人が見なければいけません。部活の準備を「やっとけよ~」では済まされないのです。途中で事故が起こった場合、責任問題です。従って、放課後から拘束は始まります。夏場だと長くて6時までします。それから、保護者対応、教材研究、学級経営の準備となりますから、退勤は早くて8時ですかね。退勤時間は人によって、日によって、まちまちです。人によってと書いたのは、教科によってとも言い換え可能です。例えば、体育の教材研究は楽です。ボール一つで成立する授業だと本当に楽。準備は体育館の使用許可とコートの準備など。バレーボールなんかを授業にしたら本当に教材研究は5分で済みますね。では、大変な科目は何か?理科です。
まず実験準備が大変です。試験管・ビーカー・薬品の調合などを事前に準備し、安全点検もします。理科の先生の間では、「準備1時間・授業1時間・片付け1時間」という言葉があるくらいです。従って、実習系の先生は大変ではないでしょうか?技術、美術などですね。
③高校
高校は学校によって違います。低偏差値の学校だとそれは動物園です。座って話を聞いているだけでも、賢いです。毎日が戦場。先生の雰囲気も悪いです。中にはポリシーを持ってやっている方もいますが。教材研究はテキトーでいいです。それこそ、5分、いや、教科書を教室に持っていてその場でやっている人もいたくらい。
あとは大人数ですね。一クラス40人編成ですので、管理が大変です。それから部活指導ですが、これは熱心な先生とそうでない先生とに分かれます。
それから進学指導です。入試問題を教えるわけですから、しっかりしないといけません。教科指導ができなくて校長に何回も叱責された教員を知っています。
以上が各校種の私の意見です。さて、私が思うに、土日はぜ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ったい休みたい人でしたら、小学校!!
部活を指導したいという人は中学校。教科の勉強がそこそこできて、サラリーマン的に働きたい人は高校という感じですかね。
あえて掛け算順序について言及してみた
掛け算順序は、小学校だけの問題だと思います。
中学校に入れば分配法則を学習しますから、生徒は結局一緒や~んで納得なわけです。
さて、私は小中一貫校で勤務しておりますから、小学校の先生と掛け算順序について話をする機会があるわけです。では、私の見解をお伝えします。
「しょー--------もな(関西弁で面白くないの意味)」
もっと他に論じなければいけない教育問題があるのに、こればかり。暇な教職員もいるんやなーと思います。さて、そのしょーもなと思う理由をいかに記します。
① 算数は国語の一部(小学校は特に)
そもそも、掛け算順序とは何かといいますと、
「いくつぶん × 何個」
という公式通りにしないといけないという話です。例えば、8個入りのうまい棒の袋があります。2つ買いました。うまい棒は何個でしょう?という問題です。
公式に当てはめると
「8個 × 2つ」
となります。これが、算数は国語の一部といわれる所以です。これ、逆にすると、2個入りのうまい棒のふくろがあります。8個買いました。うまい棒は何個でしょう?という問題になりますので、「国語力がないね。読めてないね。バツだね(バツにするのは厳しいと思うが。。。)」となるわけです。
② 単位を書けばいいやん
理科教員の私は徹底的に単位を書くよう指導します。例えば密度の問題ですと、
1.0g/cm3 × 5cm3 = 5.0g
というように。単位を数式のように見れば、分母・分子の関係で割れますからね。単位は言葉でもあるわけです。これで、掛け算を逆にしても問題はありません。
③ 結局、小学校の先生はアホなの?
総じていうとアホなのかもしれません。ただ、この問題でバツにする時点で分かっていませんよね。せめて△にして、部分点でもあげてやればいいわけです。ただ、算数は国語の一部であるわけですよ。数学も言語学の一部。論理は言語ですから。これを小学校の先生はわかっていない。しかも自分で問題を作らないわけですから(小学校のテストは業者テスト)、なおさらです。
忘備録みたいに書きましたが、いかがでしょうか。しょー----もな!と思っていただければ幸いです。
小中一貫学校
小中一貫教育についての研修を受けてきました。
中高一貫なら知ってるけど、小中一貫って何?というと私もわかりません。
ちなみに、小中一貫教育の進化VERが義務教育学校です。
義務教育学校というのは、カリキュラムを9年間で組むことができます。例えば、小学校4年生で電池のしくみがあれば、中学校の2年生にそれを持っていき、一気にやってしまったり、小学校の割合の計算を中学生1年の濃度の計算に持って行ったり。。
書いてみると、二重教えというのをなくそうというものですね。
で、はっきり言うと、小学校・中学校が少子化で成り立たないので、各自治体に校舎を一つにして、経費節減が目的です。
それで課題になってくるのが、中学校の先生の負担。複式学級で小学校のクラス数は少なくし、中学校の先生のコマ数が少ないので、そこに小学校の授業を当て込む。中学校の先生は、教科の研究会など、各自治体でやっているので、それの出張もします。そうなると、空き時間はないわ、放課後残って仕事しても終わらないわで、いろいろ大変です。小学校の先生は空き時間がありますよ。だって、その間、中学校の先生が授業をしているのですから。
となると、小の先生は負担小、中の先生は負担大。これは小中連携と言えるのですかね。
というのが、昨日の研修で分かったことでした。
僻地教員になり、2年が過ぎました
大学時代にある文言を見ました。
「小中学受験は親の受験、高校受験は塾の受験、大学受験は本人の受験」
本当にそうだと思う。僻地には塾がない。だから、生徒は学校を頼るしかない。放課後を使って質問対応をしている。公立中学ならなかなかないだろう。私が中学生の時でも放課後に残って質問を受け付けるなんてのはなかった。とっとと家に帰って、お菓子を食いながら勉強するのだ。あるいは、塾に通うのだが。
しかし、質問対応をしても成績は上がらない。毎回毎回、
「4の二乗は8!!」
「1÷2は1!!」
とこれのくり返し。なんでそうなるのか?
簡単である。家で勉強をしていないからである。聞いて終わり。それでできたと思っている。家で勉強をする習慣が小学生からないのだ。
僻地は少人数だが、小学生から勉強の習慣化させていない。若い教員が多く配置され(年配の教員は不便な僻地には行きたがらない)、総合的な学習ばかりする。割り算でまずつまづく(正確にはつまづかせるといった方がいい)。
で、生徒は何というか。
「分かりにくい」