【メモ】理科に関するまとめ

今日は、理科に関する本を読んだので、それをメモとしてあるは忘備録として残したい。

⚫︎化学は物質を研究する学問

 私がずっと疑問に思っていたのだが、中学理科は「物理学」「化学」「生物学」「地学」というタイトルにはなっておらず、それぞれ「エネルギー」「物質」「生命」「地球」というタイトルで配置されている。学習指導要領でもそう。これは研究する対象を書いているということなんかなとふと思った。

 化学分野は粒子とも表現される。物質は何でできているかと問うたとき、「粒子」というのである。

⚫︎ウォーターオーブンの秘密

 水蒸気で調理する器具ですよね。水蒸気の温度は300度で、天ぷらを揚げる温度の180度をかなり肥えていますね。この調理器内では空気を追い出すから、低酸素状態になって酸化しにくいです。しかし、水蒸気で調理しているのにパリッと調理できるのは不思議ですね。

⚫︎お風呂の歴史

紀元前3000年ごろには、古代ヒンズー教徒は入っていたい。モヘンジョダロ遺跡には、沐浴場や上下水道が整備されている。しかもテルマエロマエにあるように、ローマではサウナやら有名ですね。では、なぜヨーロッパの人はお風呂に入らなくなったのか。それはキリスト教の影響にあると考えられています。戒律の中に、「いかなる肉欲も制すべき」とあり、人前で素肌を見せるのは好ましくないと言われたそうです。ある意味、キリスト教によって衛生概念がなくなったとも言えるわけですね。しかも後々、中世になると、トイレがないという始末です。

⚫︎疫学とは何か。

 集団を観察し、病気になる人とならない人、それぞれの人の生活環境や生活習慣などにおいて何が違うのかを調べ、原因を明らかにしていく学問

 

⚫︎そういや、東京の水がペットボトルで売っていたなあ。

 今は塩素で消毒する「急速濾過方式」ではなく、オゾンを使う「高度処理方式」で水をきれいにしている。だから塩素臭くないんだけど、一応法律で1Lあたり0.1mg以上残るように塩素消毒しないといけないんだって。

 

⚫︎窒素って安定なのかなと思いきや

 高温だと反応しやすくなります。一酸化窒素や窒素酸化物になります。NOxも有名ですね。

 

⚫︎火の技術

 人類史は約700万年前に始まりました。人類がいつから火を使ったは定かではありません。まあ、ここでは火の科学について取り上げましょう。

 18世紀の初めに、ドイツのシュタールがフロギストン説を唱えました。物質にはフロギストンが必ずあって、それが燃える原因物質であると。ちなみに燃えたら、質量は減る。という考えです。ただ、金属は燃えると質量は減るし、間違った考えではありますが、「フロギストンにはマイナスの質量がある」ということをいう時代でもあリマした。

 

⚫︎18世紀後半には、気体研究が盛んに

 1756年、ブラックによる石灰石の熱分解実験

      ※その時に発生した機体を固体空気と呼ぶ

 1774年、シューレ(スウェーデン)による酸化水銀の熱分解実験

      発生した気体を火の空気と呼ぶ

 1774年、プリーストリー(イギリス)による酸化水銀の熱分解

酸化水銀は簡単に熱分解し、錬金術でよく使われる。また水銀は医療にも使われていた。

 ラボアジェによって近代科学が始まる。

   ・脱フロギストン説提唱(酸素が化学変化する)

   ・33種の元素発見

 

      

 

 

 

年賀状に代えて。昨年1年の所感

さて、2024年が始まった。僕としては、僻地教員となり、早4年がたとうとしている。つれづれと昨年はどんなことを思い感じ、過ごしていったのかをここに記そうと思う。

 

❶ へき地教育について

文部科学省もいっていることだが、人手が足らない。児童生徒数に応じて、教員を配置するので、仕方がないことなのだが。ん?生徒数がいないんだから教員は少なくて済むだろって?私も赴任するまではそう思っていた。確かに、生徒指導案件は少ない。だって関わる生徒がいないんだから。だけど、体育祭もあれば文化祭もあれば、出張もあれば、校務分掌だって平然とあるのである。それをこなす。一人で。他にいないのかって?いないですよ。だって、児童生徒数に応じて教員を配置しているのだから、仕事量に応じて配置していません。

 

それに加えて、僻地独特の仕事がある。それは、へき地教育研究大会というものだ。研究授業やら研究協議やら、その大会に向けて行う。くそである。もちろん、中学校や小学校の教員にでもなろうかというヒトは能力が低いので、研究なんて無理である。

研究と名のつく仕事はほかにもある。たとえば、教科の研究会である。学会みたいなものであるが、そこでまた研究授業、児童生徒のための催しの企画・運営などを行う。もちろん、各学校に教科の先生は1人であるから、そのようなことも一人で行う。

そこで、疑問がある。

 

果たして、「僻地は教育の原点」なのか?

 

私が4年にて編み出した答えは否である。大体教育の原点とは何かがまず不明だ。ヒトに聞けば(教育大の教授に聞けば)、うだうだあーだこーだ言われ、感じたことの1つが、「人数が少なく、子供も純朴なので話を聞いてくれる」だ。

そのような理由で僻地は教育の原点というのであれば、塾の先生になれば良い。私からいえば、文化の教授が教育と定義すれば、都市圏こそが教育の原点なのである。

僻地は教育の原点という言葉はへき地教育に携わるヒトのための言葉だ。それをはき違えてはいけないと思う。

 

❷社会では何が起こったか。

 ビッグモーター、日大、ジャニーズなどが世間を騒がせた。共通していえることは「ガバガバガバナンス」ということだろうか。自動車産業にしろ、ジャーニーズ問題にしろ、私からしたら、わかっていたこと・知っていたことだ。別段語ることはない。

 

まあ、仕事と社会とこれくらいかなと思う。あとは昨年に行ったライブについて次のブログで書きたいと思う。

 

教員の飲み会をお断りした経緯

コロナが2類から5類に引き下げられ、これまで躊躇されてきたイベントの1つに飲み会というものがある。わたしはこれが嫌いだ。親睦会という組織が職場内ではあるらしく、設立の目的が「教員らの親睦を深めよう」だ。

私のような30代前半の者からしてみれば、月並みな表現だが「飲み会で親睦を深めるのではなく、仕事で協力しながら親睦を深めるべき」なのではないだろうか。最近の若者はそういう者が多いらしい。

 

にしても、どうして飲み会が嫌いになったのだろうか。元来、私は学生時代は飲み会が好きだった。飲むことにより違う一面の友人を見ることができたからだ(まあ、私はあまり飲んでも変わらないらしく、飲んだら眠たくなるのだが)。

ふと思えば、教員の飲み会が嫌いなのだろう。大学院時代の教授退官イベントでも飲み会があったが、質素で楽しく、和気藹々としたものだった。だが、教員の飲み会はなんなのだろう。いかにその所感を述べる。

 

まず、誰と話していいのかわからない。第一、学年団で仕事をする以上、大所帯の職場だと誰がどの校務分掌を持っていてとか、4月の最初から把握していないからだ。これはこちらのミスだ。把握してから向かうべきなのである。

 

ここからが本題である。飲み会も終盤になると、ホテルのレストランであろうが、居酒屋であろうが、以下の輩が現れる。

右手にビール瓶、左手にコップを携えた野郎だ。こいつらが楽しく飲んでいるテーブルに近づき、「どーも!」という。言われた方は「あ!」とか言いつつ、自分のコップに並々とつがれているにもかかわらず、一口飲んで、そいつの右手からビール瓶を注ぐように促す。そして右手から注がれたビールをこれまた一口飲むのだ。

意味が不明である。どうしてわざわざ、一口飲むのか、そして一口飲んでもさほど量が変わらないのに、注ぐのか。全く意味がわからなかった。

それが会話のきっかけ作りなのだろう。わたしにしては、これはアルハラ以外の何物でもないと思った。

それ以来、飲み会というものには顔を出していない。4月当初の飲み会には顔を出すが、それ以外はもう全くだ。付き合いが悪いといわれても仕方がない。しかしながら、自分で言うのも難だが、仕事で私はそれなりの結果を出している。非常勤時代、教員評価アンケートなるものが私学ではあるのだが、いつも高評価だ。担任との仕事関係作りも欠かせない。同じ目的を意識し、機能性集団である仕事仲間である以上、これは欠かせない。

 

飲み会に参加して、仕事もせずに、おちゃらけだけして、右手にビール瓶、左手にコップを携え、私の元に来るのがまず嫌。私もそれに答えて一口飲んで、注ぐよう促すのも自分が嫌なのだ。

 

僻地教員(公務員)になり、早くも3年が経とうとしている

出身県の教員採用試験に受かってしまい、挙句の果てに僻地教員になってしましました。3年前は私学教員だったので、いろいろ違うところがあり、戸惑いましたが、郷に入っては郷に従えということでいろいろこらえております(笑)

ここで、私学と公立の違うところでも紹介しようかな?

 

① 「うちはこうなんだ」理論はどこでもある

これは当たり前と言えば、当たり前です。文部科学省の御達しがあり、それを県の教育委員会が読み、各自治体に文書として指示します。例えば、今流行の小学校から専門教育をということで、教科担任制を小学校でするという御達し。

もう、現場に丸投げです。人手もいないし、お金もないし、どうするんだよって!

だから、教育委員会のお偉いさんはこういうしかないです。

「うちはこうなんだ!!(だって、文科省は無茶苦茶言うし、都道府県の教育委員会もそのまま言うし、結局現場任せになるでしょ。)」

 

ただ、この「うちはこうなんだ!」理論は誰に目を向けているかということになります。私学だとお金は生徒に還元するか、人に還元するかのほぼ2択なので、「うちはこう~」と言われても、腹は立ちませんけどね。ま、理事長が着服とかしない限り。。。

公立はそもそもがお金がないので、生徒にも教員にもお金は還元されないんすよ。決まったお金でやりくりしていくしかないんすね。

 

②車が要るから結局同じ

公務員は安定だからいいじゃないかと私学教員によく言われます。私学教員の場合は、実は公用車があるんで、車って必要ないんですよね。別に買ってもいいんですけど。

あと、住む場所も安定しないから、5年から10年で引っ越しを余儀なくされて、なかなかお金が貯まらないと思います。

まあ、ないなら使うなというのは、世界の真理ですな。

 

③私学は意味不明なところはほんとにイミフ。公立は意味不明なところはない

私学でも、月に1回も会議がないところはざらにあります。だから、みんな各分掌ごとにごちゃごちゃぐちゃぐちゃ。部活もいつどこで誰がやっているかもわかりません。公立だと、月に1回は会議が絶対にあります。そこで月の予定を確認し合います。これが非常に心理的に大きくて、月の予定が遅くとも1ヶ月前にはわかるので、プライベートの予定を立てやすいです。

私学は本当に意味不明な所はイミフですよ。わけわからん。

 

番外編 出身県に戻っても特に何もない。

ふしぎなことに、友達、いないんすよ。全く。みんな、都市圏に行ったんだと思います。多分、今年の正月も誰とも会わずに、過ごすのだと思います。コロナ禍で、田舎に行くのも気が引けますからね。

コンデンサー?コンデンサ?

教科書の表記や過去問などを研究していて、いつも気になるのがこれ。コンデンサコンデンサー?どっち?コンピュータ、コンピューター?どっち?

これを我流に

「長音棒線問題」

と名付けましょう。

さて、今日はこれに終止符を打つとしましょう。

 

①そもそもの話として

文化庁ガイドラインでは、

-er , -or , -arで終わる単語をカタカナで表記するとき、長音(ー)をつける

とあります。だったら、computer はコンピュータだし、condenser は コンデンサですよね。だったら、この議論は終了!とならないです。このガイドラインでは、続きがあります。それは…

慣用に応じて省略可

はー--------------------------------------------------------慣用ー---------------------!!

どういうことかと言いますと、er とかで終わろうが、慣れ親しんで使っていたら棒線なんていらないよってことです。

 

②コンピューター、コンピュータに今こそ、終止符を

さて、慣用で省略可とされた具体例を見ていきましょう。

 computerです。

  心理学では、コンピュータです (棒線いらない)

  物理学では、コンピューターです(棒線いる!!)

  JIS規格では、コンピュータです。ちなみにプリンタです。

では、国民の声を聴いてみましょう。文化庁の「平成15年度国語に関する世論調査」によると、

76.6%の人がコンピューターと書いてるそうです

またマイクロソフト社は2008年7月25日にコンピューターと標記を改めました。

 

ということで、もうみんなコンピューターなんだから、それでよくね?

 

コンデンサコンデンサー?

ガイドラインでは、condenser なので、コンデンサーとなりますが、

村田製作所のHPではコンデンサです。

物理の教科書もコンデンサです。

以上が、電気を蓄えるためのコンデンサの表記でした。

 

カーエアコンにもコンデンサーがあります。これは棒線がいります

ややこしいですね。でも全く違うものですので、悪しからず。

 

もう、電気を蓄えるのはコンデンサよりもキャパシタと標記したら?

 

 

 

地方公務員の最終的な給料、計算してみた!

あるベテラン教員がこうつぶやいた。

 

「俺の給料、上がってない・・・。」

 

え?地方公務員って給料が上がり続けるのでは?と思ったそこのあなた!私もそう思いました。だって、公務員だもん。じゃあ、実際に調べて計算してみましょうというのが今日のブログの内容です。

 

さて、ベテラン(定年間際)の地方公務員の給料はどこまで上がるのでしょうか。

検索しましょう。

①公務員の給料を調べる

一般職の職員の給与に関する条例」で調べることができます。試しに自分が調べたい都道府県を調べてみてください。調べたでしょうか?調べたら、次!

 

等級がどこに位置するか調べる。

公務員には、等級というのがあります。教職公務員の等級は以下の通りです。

  2級:教諭(担任を持ったりする先生はこれ)

  3級:教頭

  4級:校長

 

③どこまで給料が上がるのか調べる。

「俺の給料、上がっていない」と言った先生は担任を持っていますので、2級です。2級の先生の給料のMaxは、439,400円(だいたい44万円)です。

※定年退職後の再任用だと28万円

ここから、年収を計算します。

    439,400円 × 15か月 = 6,581,000円

これは、年収です。つまり、税金が引かれる前!だいたい25%持っていかれると考えましょう。

   6,591,000円 × 0.75 = 4,938,750円

 

うわ!ひく!と考えた人がいますか。あまいです。それは、

 

年収に所得税がかかることがないのです!!

 

落とし穴!みんなご存じ?給与所得控除

どういうことかといいますと、給与所得控除というのがあります。給与所得控除とは、いわゆる経費のことです。自営業をやられている方だと、経費で落とすということをよくしますよね。会社員でも経費がありますよね?例えば、営業職だとスーツであったり、時計であったり、仕事でどうしても必要なもの。でも、自費ですよね。しかもそれをいちいち会社に計上してられませんよね?そこで、国は給与所得控除として、独自の計算で収入による大体の経費を計算しております。

 

では、とあるベテラン教員は国からどれくらいの経費があると考えられているか、計算しましょう。

計算しますと、154万円です。

※私、このまえ車を購入したのですが、200万円でした。地方の教員は車が必要なのですが、給与所得控除オーバーしております。

ここから、実際の所得税を計算します。

(6,591,000円 - 1,540,000円)×0.25 = 1,262,750円

 

そのままの年収に税金がかかるとしたら、165万円くらいです。

 

つまり、40万円の節税が給与所得控除によりすることができました。

※こんなん、節税でも何でもない。

 

①で計算した493万円に40万円を足しましょう。

そうすると、とあるベテラン教員の給料は・・・

 

      530万円!!

 

如何でしたでしょうか?これは独り身の計算です。

扶養家族がいますと、手当がいっぱいつきます。僻地に位置する学校で勤務しても同様です。

なので、この給料を基に手当がかかってきます。ま、参考までに。

 

【原子とは何か?】哲学者による存在論から中学理科原子を考える

我が僻地にも、コロナウイルスの猛威が近づいてきて、先週から休業となった。これで私も晴れて濃厚接触者となった。ああ、これほどまでに注意深く感染予防をしていたのに、ワクチンも3回打ったのに、春休みの予定がパアである。

 

そんなこんなでやっと積読本を読むことができた。それは、

「飲茶著 史上最強の哲学入門」

である。以前、岡田斗司夫が話していてかれこれ10か月くらい前に買ったけな?

さてこの本の中では、「存在論」という章がある。何をもってその物質が「存在」しているのかというのを考える。ここで、表題にもつながる話を思いついたので書き記したいと思う。

 

以前この原子の授業をするのに、仮設実験授業という方法を参考にしたことがある。まず、問いから始まる。

「このチョークをバラバラに、もっとバラバラにしていくとどうなるでしょうか?」

別段チョークにこだわる必要はなく、リンゴでもなんでもいい。生徒らは「見えなくなる」とか「小さな粒々になる」とか答えるだろう。で、原子の登場だ。そこからは指導書にもあるように指導していく。原子について、分子について。(共有結合について。ここまでやると高校内容だけど、私はします。)

 

この本の言葉を借りれば、万物流転と万物不変。チョークは小さくなるか、見えなくなる、あるいは水になるか。

紀元前の540年頃から480年頃にいたヘラクレイトスは存在は変化すると唱えた。またこの同時代にパルメニデスは存在は不変であると唱えた。現代の我々からしてみたら、存在は変化するなんてありえない。チョークが水になるなんてありえないというわけである。しかし、リンゴだってバナナだって、放置しているとやがては干からびて、みずみずしさがなくなる。このようなことを考えると、物質が存在し続けるとやがては水に変化するかもしれない。だって、そのころ、顕微鏡なんてなかったのだから。

 

この時代に存在は変化しないなんてことを見いだした哲学者のすごさたるや。

 

さて、小さな哲学者、中学生に存在は変化しないをどう教えるか。しかし、もう感づいているはずである。チョークを細かくしていっても小さな粒子になると!

これは、「存在するものは存在するし、存在しないものは存在しない」というごく当たり前のことを言っている。言い換えれば、「『無』から『有』は生じないし、『有』が『無』にはならない」ということだ!

 

これを最初から中学生は知っている。当たり前だが知っているのだ。紀元前の哲学者が考えに考えたことを、いとも簡単に知っている。ああ、教師という仕事は、「教えない」に尽きる。