「小学校の先生は夏休みヒマなのか?学校開放する余裕ナシ?ひろゆき×教師たち」という動画を見た感想

ちょうど先ほど、タイトルにある動画を見ました。

youtu.be

一応、動画のリンクを貼ったので、興味があればどうぞ。

ちなみにこの感想を書いている僕は、現在中学校の先生で、以前まで小中一貫校で働いていたので、この動画に出てくるhiro先生と似た境遇である。

夏休みに家庭訪問を行ったことがあるが、そこの人から「夏休みだから昼から休んでビールとか飲んでる?」とか聞かれたことがありました。それは80歳前後の人から言われたので、昭和の先生はそんな感じだったんでしょうね。残念ながら、今はそうではありません。夏休みは研修が入ります。また、少子化による影響で子供の数が減り、教員の数が減った今、部活も担任業も一人で見なければいけません。夏休みは授業がない代わりに、外部の研修やら部活、集会に行かなければいけません。

さて、この動画では、hiro先生が中学教員は休みがないという話をしようとしたら平石アナから小学校の先生に焦点を当ててくださいと言われていたので、このブログでも小学校の先生に焦点を当ててみましょうか。

ぶっちゃけ、小学校の先生の夏休みは、かなり休むことができます。これはマジです。ただ、地域性にもよります。例えば、以前僕が勤めていた小学校では、プール教室というものがあり、夏休みが入っても2週間くらいは、午前中だけですが、出勤していました。あと、動画でも研修を受けるという話がありましたが、教育委員会から言われる研修は長くても3日間くらいで終わるのがほとんどなので、ぶっちゃけ、小学校の先生は本当に休むことができます。(ちなみに、中学教員の僕は、先ほど、部活の研修動画を自分が見たくてみていました。)

僕が勤めいていた小学校では、8月1日から25日まで会わなかった先生もいるくらいです。ただ、その間に、研修があったりして、会わなかったということもあります。

さて、その夏休みが悪いことなのかというと、僕は悪くないと思います。

この夏休みに年休を使ったとしても、20日も取れないのが現状です。一般企業のみなさんはどうなんでしょうか?

1学期中は、13時間労働が当たり前となっている現場で、夏休みまで学校を開放し、そのようなことをしなければいけないのかと思うと、いやになります。図書館に勉強をする児童・生徒が来てくれたらいいですよ?実際はそうではない。勉強をしたくない児童がくる、トラブルを起こす、保護者に連絡をしなければいけない。仕事が増えるわけです。

この番組、戸塚ヨットスクールも取り上げていたが、議論がかみ合わなかった。というのも、子どもを性善説として捉えすぎているのが原因だと思った。この問題もそう。子供は図書館にきておとなしく勉強するものであるから、その子供のために、教員は夏休みも出勤しているのであれば、見るべきだということだろう。はっきり言おう。夏休みに学校の図書館に友だちと来て勉強なんてする児童なんていない。友だちとしゃべる、図書館でお菓子を食う、暴れる、スマホを触る、これらを通し、トラブルを起こす。

夏休みは1学期で起きたトラブルをお互いに、頭を冷やす時期だと思う。あるいは、40日間、学校に行かず、自分と向き合う時期だと思う。学校でトラブルを起こす児童は、学校外でも起こして、警察沙汰になる。これも夏休みだ。

学校から離れ、戸塚ヨットスクールに通わせるもよし、ゆっくり家で本を読むもよし、警察沙汰になり、取り調べを受けるもよし。様々にひと夏の経験をするのが、夏休みだと思う。教員も子供も。

部活動の地域移行について思うところをつらつらと

今や、中高の部活動の地域移行ということで、各自治体で取り組みをされているということだ。教職に就く身としては喜ばしい限りだ。土日が休みになるのだ。これは本当に素晴らしいことで、土日に好きでもない部活動にいそしむ必要がなくなったのだ。そして、土日に1週間の振り返りができる。そもそも、かの松下幸之助も1日休養、1日教養ということを推奨し、週休2日制を導入したのだ。決して楽をしようというものではない。

わが県にもその波が来て、早速外部のコーチに部活動が委託された。

地域移行になり、批判もあるが、知っている限りの批判を論破していこうと思う。

 

①「 外部のコーチがいない部活動はどうするの?」

 地域にその部活動の指導者がいない場合のことだろう。これはもう自分勝手というものなのかもしれない。というのも、私が中学生の時、そもそも存在しない部活動が多々あった。例えばバスケットボール部。同じ市内でも我が中学校だけなかったのだ。バドミントン部もなかった。それから、男子バレーボール部、男子テニス部などもなかった。「女性差別はいけません!」と教師は言うが、部活動で男女差別をしてるのではなかろうか?

 とまあ、このように外部のコーチがいない部活動というか、そもそもその中学校に存在しない部活動もあるわけなので、どうしても入りたい部活動なら、外部のコーチがいる部活動に加入するか、クラブチームに加入してもらうのが筋だろう。

よって、この問題は地域移行云々の前に、そもそもあった問題なのである。それを棚に上げて、その自治体だけでいうのはお門違い。世間を広く見てください。

 

② お金がかかる。

 外部のコーチを雇うのにお金がかかるということだろう。じゃあ、学校の先生にお金を今まで払ってなかったのがおかしいのでは?

 あと、外部のチームに入るのもお金がかかるというものだ。

 大前提として、スポーツには金がかかる。極力かけたくないという気持ちもあろうが、事実として金はかかるのである。

 第一、バスケットボール部のチーム登録だけで1万円。選手登録だけでも2000円。これはJBAの取り決めである。JBAの取り決めの方が問題ではなかろうか。こういう構造がサッカーでも野球でもあるのだと思われる。このようにスポーツを生業とするものに搾取される構造に問題があるのではなかろうか。

 スポーツに直接関わらない組合に払うのであれば、24時間フィットネスジムに行く方がなんぼか安上がりだ。

 お金がない子にも部活動を!気持ちはわかるが、スポーツ界事態がそもそもお金をむしり取る構造なのだ。悪いけど。

 

③ まとめ

  とまあ、思い当たる節で反論にもならない反論をしたわけだが、今まで教員の善意で成り立っていたものだと思う。バスケをしたことがないのに、バスケをさせられたり、審判をさせられたり。

 そもそも少子化だから、野球で9人選手がそろわないとか、サッカーで11人そろわないとかで地域移行にし、学校主体ではなく、地域という枠組みで集まろうというものだろう。それはそれでいいのではないだろうか。そうすれば、会場も有効活用でき、バドミントン部が平日の学校ではないけど、土日にバドミントンをするなどできる。

 地域に根差した生き方しかできないのが、中学生だろう。中学自分は様々な部活動をして知見を広げてほしい。そのための地域移行なのだと思う。平日と土日にすみわけをして、様々な取り組みをしてほしいと思う。

 高校はって?そうやなあ。難しいよなあ。ま、高校は先生の人数もいるし、外部移行しなくても大丈夫でしょう。

 

自分のセクシャリティについて

みなさんは売り専という職業をご存知でしょうか?

売り専とは売り専門の略で、体の他に売るものがないということから、男が男に体を売る人のことを指すらしい。私からしたら体の他に売るものがないってなんと失礼なと思うのだが。

私のセクシャリティはゲイだと思う。思うというのは、たまに女の子もいいなあと思うから。それがバイでは?と思うのだが、半々というわけではないという意味でゲイだと思う。この前も、大学近くのファミレスでご飯を食べていたら、若い部活帰りの大学生が来て、目のやり場に困った。だから、ゲイだと思う。ちなみに、男の身なりで男が好きである。

そんな私が売り専を利用したのは、新卒社会人で9月ぐらいのこと。もう仕事が嫌で毎日、生活に忙しく、生活に彩りがないとき、「男子学園」という売り専のサイトを見つけ、利用した。かっこかわいい系の男の子を指名した。ちなみにその男子はまだ現役だ。もう、10年くらい前になる。

そのときは滋賀県で教職に就いていたから、大阪の店舗に行くのはめんどくさく感じたので、京都の出町柳まで出張を頼んだ。そこには京都店の個室があるから、ちょうどよかった。

僕は今でもそうだけど、いわゆるハードゲイではなく、ケツ穴確定的なセックスは今でも嫌悪感はあるし、挿入なんてできない。だから、一緒に寝たり、いちゃついたりするなどといった、バニラというものをそのときもした。

男性器を見せ合ったり、なんか、高校時代でもそんなことをノンケの男子生徒はするんだと思うけど、そんなことをそのときはしたな。

ボーイが「恥ずかしい。。」と顔を赤らめ、「えー、見せてよー」とか言ったりして楽しんだ。

それから定期的に利用した。だいたい月一ペースかな。

今は、片田舎に住んでいて、自身の生活もあり泊りもできない。遅れてきた青春時代だと思うか。

なんか、日本人第三世代論というものをみた。

ツイッターかな?もとい、Xかな。日本人第三世代論というものを見て、驚いた。というのも確かになあと唸るものだったからだ。私の周りを見ても、なぜか説得力がある。ちょっとこれから説明したいと思う。

日本人第三世代論

 

その説明の前にそもそも、第三世代とはいつやねんということだ。だいたいどこから第一やねんと。そういや、お笑い第なんちゃら世代とか流行った時期がありましたね。そのノリみたいな感じです。

まず第一世代。

これは戦後から始まります。戦後の生き残りが第一世代。これに当たるのが、三島由紀夫でしょう。この時の世代が子育てをします。

この時の子育てって、格差もないし、どこも焼け野原で、ぶっちゃけ子供がいたら基本鼻たれです。つまり、みんな貧乏だったし、明日の日本の行方が自分の家庭と直結していた。格差がなかったんですよ。

 

で、徐々に格差が生まれていきます。

第二世代。団塊の世代ですね。大阪や東京などの都市が発展していき、物があふれていきます。当然、恋愛なんてぜいたく品。美男は美女と付き合います。美女は美男と付き合います。美女は金持ちと付き合います。子供が生まれます。その子供の遺伝子は、美男美女の遺伝子です。金持ちの遺伝子です。家庭環境もよく、もっと言うと、こどもに勉強だけではなく、サッカーのクラブチームに入れたり、スケートをさせたり。このように育った今の20台から30代が第三世代です。

 

じゃあ、見ていこう。みなさん、今からいう人を検索していきましょう。

まずはサッカーのうまい人

常本圭吾

三苫

堂安律

イ、イケメンだーーー。

 

野球

大谷さん

うん、イケメン。

 

サッカーのうまい人の名前を見ると、下の名前の付け方に、上品さ気品さ、知的レベルを感じてしまうのはわたくしだけ?

ということで、子供を作るのはぜいたくであり、その子供の周りには遺伝子レベル家庭レベルでもダントツであるという日本人第三世代論を身に染みて感じた今日この頃なのでした。

 

【メモ】理科に関するまとめ

今日は、理科に関する本を読んだので、それをメモとしてあるは忘備録として残したい。

⚫︎化学は物質を研究する学問

 私がずっと疑問に思っていたのだが、中学理科は「物理学」「化学」「生物学」「地学」というタイトルにはなっておらず、それぞれ「エネルギー」「物質」「生命」「地球」というタイトルで配置されている。学習指導要領でもそう。これは研究する対象を書いているということなんかなとふと思った。

 化学分野は粒子とも表現される。物質は何でできているかと問うたとき、「粒子」というのである。

⚫︎ウォーターオーブンの秘密

 水蒸気で調理する器具ですよね。水蒸気の温度は300度で、天ぷらを揚げる温度の180度をかなり肥えていますね。この調理器内では空気を追い出すから、低酸素状態になって酸化しにくいです。しかし、水蒸気で調理しているのにパリッと調理できるのは不思議ですね。

⚫︎お風呂の歴史

紀元前3000年ごろには、古代ヒンズー教徒は入っていたい。モヘンジョダロ遺跡には、沐浴場や上下水道が整備されている。しかもテルマエロマエにあるように、ローマではサウナやら有名ですね。では、なぜヨーロッパの人はお風呂に入らなくなったのか。それはキリスト教の影響にあると考えられています。戒律の中に、「いかなる肉欲も制すべき」とあり、人前で素肌を見せるのは好ましくないと言われたそうです。ある意味、キリスト教によって衛生概念がなくなったとも言えるわけですね。しかも後々、中世になると、トイレがないという始末です。

⚫︎疫学とは何か。

 集団を観察し、病気になる人とならない人、それぞれの人の生活環境や生活習慣などにおいて何が違うのかを調べ、原因を明らかにしていく学問

 

⚫︎そういや、東京の水がペットボトルで売っていたなあ。

 今は塩素で消毒する「急速濾過方式」ではなく、オゾンを使う「高度処理方式」で水をきれいにしている。だから塩素臭くないんだけど、一応法律で1Lあたり0.1mg以上残るように塩素消毒しないといけないんだって。

 

⚫︎窒素って安定なのかなと思いきや

 高温だと反応しやすくなります。一酸化窒素や窒素酸化物になります。NOxも有名ですね。

 

⚫︎火の技術

 人類史は約700万年前に始まりました。人類がいつから火を使ったは定かではありません。まあ、ここでは火の科学について取り上げましょう。

 18世紀の初めに、ドイツのシュタールがフロギストン説を唱えました。物質にはフロギストンが必ずあって、それが燃える原因物質であると。ちなみに燃えたら、質量は減る。という考えです。ただ、金属は燃えると質量は減るし、間違った考えではありますが、「フロギストンにはマイナスの質量がある」ということをいう時代でもあリマした。

 

⚫︎18世紀後半には、気体研究が盛んに

 1756年、ブラックによる石灰石の熱分解実験

      ※その時に発生した機体を固体空気と呼ぶ

 1774年、シューレ(スウェーデン)による酸化水銀の熱分解実験

      発生した気体を火の空気と呼ぶ

 1774年、プリーストリー(イギリス)による酸化水銀の熱分解

酸化水銀は簡単に熱分解し、錬金術でよく使われる。また水銀は医療にも使われていた。

 ラボアジェによって近代科学が始まる。

   ・脱フロギストン説提唱(酸素が化学変化する)

   ・33種の元素発見

 

      

 

 

 

年賀状に代えて。昨年1年の所感

さて、2024年が始まった。僕としては、僻地教員となり、早4年がたとうとしている。つれづれと昨年はどんなことを思い感じ、過ごしていったのかをここに記そうと思う。

 

❶ へき地教育について

文部科学省もいっていることだが、人手が足らない。児童生徒数に応じて、教員を配置するので、仕方がないことなのだが。ん?生徒数がいないんだから教員は少なくて済むだろって?私も赴任するまではそう思っていた。確かに、生徒指導案件は少ない。だって関わる生徒がいないんだから。だけど、体育祭もあれば文化祭もあれば、出張もあれば、校務分掌だって平然とあるのである。それをこなす。一人で。他にいないのかって?いないですよ。だって、児童生徒数に応じて教員を配置しているのだから、仕事量に応じて配置していません。

 

それに加えて、僻地独特の仕事がある。それは、へき地教育研究大会というものだ。研究授業やら研究協議やら、その大会に向けて行う。くそである。もちろん、中学校や小学校の教員にでもなろうかというヒトは能力が低いので、研究なんて無理である。

研究と名のつく仕事はほかにもある。たとえば、教科の研究会である。学会みたいなものであるが、そこでまた研究授業、児童生徒のための催しの企画・運営などを行う。もちろん、各学校に教科の先生は1人であるから、そのようなことも一人で行う。

そこで、疑問がある。

 

果たして、「僻地は教育の原点」なのか?

 

私が4年にて編み出した答えは否である。大体教育の原点とは何かがまず不明だ。ヒトに聞けば(教育大の教授に聞けば)、うだうだあーだこーだ言われ、感じたことの1つが、「人数が少なく、子供も純朴なので話を聞いてくれる」だ。

そのような理由で僻地は教育の原点というのであれば、塾の先生になれば良い。私からいえば、文化の教授が教育と定義すれば、都市圏こそが教育の原点なのである。

僻地は教育の原点という言葉はへき地教育に携わるヒトのための言葉だ。それをはき違えてはいけないと思う。

 

❷社会では何が起こったか。

 ビッグモーター、日大、ジャニーズなどが世間を騒がせた。共通していえることは「ガバガバガバナンス」ということだろうか。自動車産業にしろ、ジャーニーズ問題にしろ、私からしたら、わかっていたこと・知っていたことだ。別段語ることはない。

 

まあ、仕事と社会とこれくらいかなと思う。あとは昨年に行ったライブについて次のブログで書きたいと思う。

 

教員の飲み会をお断りした経緯

コロナが2類から5類に引き下げられ、これまで躊躇されてきたイベントの1つに飲み会というものがある。わたしはこれが嫌いだ。親睦会という組織が職場内ではあるらしく、設立の目的が「教員らの親睦を深めよう」だ。

私のような30代前半の者からしてみれば、月並みな表現だが「飲み会で親睦を深めるのではなく、仕事で協力しながら親睦を深めるべき」なのではないだろうか。最近の若者はそういう者が多いらしい。

 

にしても、どうして飲み会が嫌いになったのだろうか。元来、私は学生時代は飲み会が好きだった。飲むことにより違う一面の友人を見ることができたからだ(まあ、私はあまり飲んでも変わらないらしく、飲んだら眠たくなるのだが)。

ふと思えば、教員の飲み会が嫌いなのだろう。大学院時代の教授退官イベントでも飲み会があったが、質素で楽しく、和気藹々としたものだった。だが、教員の飲み会はなんなのだろう。いかにその所感を述べる。

 

まず、誰と話していいのかわからない。第一、学年団で仕事をする以上、大所帯の職場だと誰がどの校務分掌を持っていてとか、4月の最初から把握していないからだ。これはこちらのミスだ。把握してから向かうべきなのである。

 

ここからが本題である。飲み会も終盤になると、ホテルのレストランであろうが、居酒屋であろうが、以下の輩が現れる。

右手にビール瓶、左手にコップを携えた野郎だ。こいつらが楽しく飲んでいるテーブルに近づき、「どーも!」という。言われた方は「あ!」とか言いつつ、自分のコップに並々とつがれているにもかかわらず、一口飲んで、そいつの右手からビール瓶を注ぐように促す。そして右手から注がれたビールをこれまた一口飲むのだ。

意味が不明である。どうしてわざわざ、一口飲むのか、そして一口飲んでもさほど量が変わらないのに、注ぐのか。全く意味がわからなかった。

それが会話のきっかけ作りなのだろう。わたしにしては、これはアルハラ以外の何物でもないと思った。

それ以来、飲み会というものには顔を出していない。4月当初の飲み会には顔を出すが、それ以外はもう全くだ。付き合いが悪いといわれても仕方がない。しかしながら、自分で言うのも難だが、仕事で私はそれなりの結果を出している。非常勤時代、教員評価アンケートなるものが私学ではあるのだが、いつも高評価だ。担任との仕事関係作りも欠かせない。同じ目的を意識し、機能性集団である仕事仲間である以上、これは欠かせない。

 

飲み会に参加して、仕事もせずに、おちゃらけだけして、右手にビール瓶、左手にコップを携え、私の元に来るのがまず嫌。私もそれに答えて一口飲んで、注ぐよう促すのも自分が嫌なのだ。