教員の飲み会をお断りした経緯

コロナが2類から5類に引き下げられ、これまで躊躇されてきたイベントの1つに飲み会というものがある。わたしはこれが嫌いだ。親睦会という組織が職場内ではあるらしく、設立の目的が「教員らの親睦を深めよう」だ。

私のような30代前半の者からしてみれば、月並みな表現だが「飲み会で親睦を深めるのではなく、仕事で協力しながら親睦を深めるべき」なのではないだろうか。最近の若者はそういう者が多いらしい。

 

にしても、どうして飲み会が嫌いになったのだろうか。元来、私は学生時代は飲み会が好きだった。飲むことにより違う一面の友人を見ることができたからだ(まあ、私はあまり飲んでも変わらないらしく、飲んだら眠たくなるのだが)。

ふと思えば、教員の飲み会が嫌いなのだろう。大学院時代の教授退官イベントでも飲み会があったが、質素で楽しく、和気藹々としたものだった。だが、教員の飲み会はなんなのだろう。いかにその所感を述べる。

 

まず、誰と話していいのかわからない。第一、学年団で仕事をする以上、大所帯の職場だと誰がどの校務分掌を持っていてとか、4月の最初から把握していないからだ。これはこちらのミスだ。把握してから向かうべきなのである。

 

ここからが本題である。飲み会も終盤になると、ホテルのレストランであろうが、居酒屋であろうが、以下の輩が現れる。

右手にビール瓶、左手にコップを携えた野郎だ。こいつらが楽しく飲んでいるテーブルに近づき、「どーも!」という。言われた方は「あ!」とか言いつつ、自分のコップに並々とつがれているにもかかわらず、一口飲んで、そいつの右手からビール瓶を注ぐように促す。そして右手から注がれたビールをこれまた一口飲むのだ。

意味が不明である。どうしてわざわざ、一口飲むのか、そして一口飲んでもさほど量が変わらないのに、注ぐのか。全く意味がわからなかった。

それが会話のきっかけ作りなのだろう。わたしにしては、これはアルハラ以外の何物でもないと思った。

それ以来、飲み会というものには顔を出していない。4月当初の飲み会には顔を出すが、それ以外はもう全くだ。付き合いが悪いといわれても仕方がない。しかしながら、自分で言うのも難だが、仕事で私はそれなりの結果を出している。非常勤時代、教員評価アンケートなるものが私学ではあるのだが、いつも高評価だ。担任との仕事関係作りも欠かせない。同じ目的を意識し、機能性集団である仕事仲間である以上、これは欠かせない。

 

飲み会に参加して、仕事もせずに、おちゃらけだけして、右手にビール瓶、左手にコップを携え、私の元に来るのがまず嫌。私もそれに答えて一口飲んで、注ぐよう促すのも自分が嫌なのだ。