僻地教員(公務員)になり、早くも3年が経とうとしている

出身県の教員採用試験に受かってしまい、挙句の果てに僻地教員になってしましました。3年前は私学教員だったので、いろいろ違うところがあり、戸惑いましたが、郷に入っては郷に従えということでいろいろこらえております(笑)

ここで、私学と公立の違うところでも紹介しようかな?

 

① 「うちはこうなんだ」理論はどこでもある

これは当たり前と言えば、当たり前です。文部科学省の御達しがあり、それを県の教育委員会が読み、各自治体に文書として指示します。例えば、今流行の小学校から専門教育をということで、教科担任制を小学校でするという御達し。

もう、現場に丸投げです。人手もいないし、お金もないし、どうするんだよって!

だから、教育委員会のお偉いさんはこういうしかないです。

「うちはこうなんだ!!(だって、文科省は無茶苦茶言うし、都道府県の教育委員会もそのまま言うし、結局現場任せになるでしょ。)」

 

ただ、この「うちはこうなんだ!」理論は誰に目を向けているかということになります。私学だとお金は生徒に還元するか、人に還元するかのほぼ2択なので、「うちはこう~」と言われても、腹は立ちませんけどね。ま、理事長が着服とかしない限り。。。

公立はそもそもがお金がないので、生徒にも教員にもお金は還元されないんすよ。決まったお金でやりくりしていくしかないんすね。

 

②車が要るから結局同じ

公務員は安定だからいいじゃないかと私学教員によく言われます。私学教員の場合は、実は公用車があるんで、車って必要ないんですよね。別に買ってもいいんですけど。

あと、住む場所も安定しないから、5年から10年で引っ越しを余儀なくされて、なかなかお金が貯まらないと思います。

まあ、ないなら使うなというのは、世界の真理ですな。

 

③私学は意味不明なところはほんとにイミフ。公立は意味不明なところはない

私学でも、月に1回も会議がないところはざらにあります。だから、みんな各分掌ごとにごちゃごちゃぐちゃぐちゃ。部活もいつどこで誰がやっているかもわかりません。公立だと、月に1回は会議が絶対にあります。そこで月の予定を確認し合います。これが非常に心理的に大きくて、月の予定が遅くとも1ヶ月前にはわかるので、プライベートの予定を立てやすいです。

私学は本当に意味不明な所はイミフですよ。わけわからん。

 

番外編 出身県に戻っても特に何もない。

ふしぎなことに、友達、いないんすよ。全く。みんな、都市圏に行ったんだと思います。多分、今年の正月も誰とも会わずに、過ごすのだと思います。コロナ禍で、田舎に行くのも気が引けますからね。