年賀状に代えて。昨年1年の所感

さて、2024年が始まった。僕としては、僻地教員となり、早4年がたとうとしている。つれづれと昨年はどんなことを思い感じ、過ごしていったのかをここに記そうと思う。

 

❶ へき地教育について

文部科学省もいっていることだが、人手が足らない。児童生徒数に応じて、教員を配置するので、仕方がないことなのだが。ん?生徒数がいないんだから教員は少なくて済むだろって?私も赴任するまではそう思っていた。確かに、生徒指導案件は少ない。だって関わる生徒がいないんだから。だけど、体育祭もあれば文化祭もあれば、出張もあれば、校務分掌だって平然とあるのである。それをこなす。一人で。他にいないのかって?いないですよ。だって、児童生徒数に応じて教員を配置しているのだから、仕事量に応じて配置していません。

 

それに加えて、僻地独特の仕事がある。それは、へき地教育研究大会というものだ。研究授業やら研究協議やら、その大会に向けて行う。くそである。もちろん、中学校や小学校の教員にでもなろうかというヒトは能力が低いので、研究なんて無理である。

研究と名のつく仕事はほかにもある。たとえば、教科の研究会である。学会みたいなものであるが、そこでまた研究授業、児童生徒のための催しの企画・運営などを行う。もちろん、各学校に教科の先生は1人であるから、そのようなことも一人で行う。

そこで、疑問がある。

 

果たして、「僻地は教育の原点」なのか?

 

私が4年にて編み出した答えは否である。大体教育の原点とは何かがまず不明だ。ヒトに聞けば(教育大の教授に聞けば)、うだうだあーだこーだ言われ、感じたことの1つが、「人数が少なく、子供も純朴なので話を聞いてくれる」だ。

そのような理由で僻地は教育の原点というのであれば、塾の先生になれば良い。私からいえば、文化の教授が教育と定義すれば、都市圏こそが教育の原点なのである。

僻地は教育の原点という言葉はへき地教育に携わるヒトのための言葉だ。それをはき違えてはいけないと思う。

 

❷社会では何が起こったか。

 ビッグモーター、日大、ジャニーズなどが世間を騒がせた。共通していえることは「ガバガバガバナンス」ということだろうか。自動車産業にしろ、ジャーニーズ問題にしろ、私からしたら、わかっていたこと・知っていたことだ。別段語ることはない。

 

まあ、仕事と社会とこれくらいかなと思う。あとは昨年に行ったライブについて次のブログで書きたいと思う。