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教師が生徒に告られたらどうしたらいいのかとその考え方

教育

大学時代の教育関係の授業で書いた資料を公開!!

まず場面設定で劇は進みます。

生徒に告白される→先生困る→「彼女がいるから」と言い、生徒の申し出を断るが一連の劇の流れでした。

1、序章

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このような状況の中、教師は生徒に告白をされる。

そして同僚にそのことを相談するのであるが、そこで教員に何故なったのか問われ、主人公の教師は「お互いに成長できるから」と答える。

一方、生徒はまた違う教師にそのことを相談し、「付き合ったとして、周りの友達はどう思うのか」と問われ、考えを改める。

また最終的に教師は「彼女がいるから」と言い、このことは終結に向かった。

 

2、考え方の補助線

補助線というのは幾何学で用いられるものであるが、具体的に言うとそれまで複雑であったものが補助線を引くことにより、簡単に解決あるいはわかりやすくなるというものである。ここでどうして僕たちは(僕達の班は)、教員が生徒と付き合うのを、高校3年生女子なら法律的に問題がないにもかかわらず、ダメだと思ってしまうのだろうということから考えた。

そこで引くべき補助線が「オオヤケ(公)」と「ワタクシ(私)」というものである。

以下にこの問題を図解して説明する。

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上図を主人公の言葉である「教師になった理由が生徒とお互いに成長できるから」というものを思い出していただきたい。我が班のシナリオでのセリフであるので特異な例だと思われる方は理想とする教員像を思い描いていただきたい。そして問いかけてほしい。

 

「もし自分が主人公なら付き合うことを承諾したとして、理想とする教員像を満たすことができるか?」

 

答えはNoだと思う(私達の班はNoだとした)。なぜなら、クラスでの評価が低下し、教師間の評価が低下、もっと言えば地域の評価が低下するからだと考えたからだ。これが

 

地方公務員法 第33条 職員は、その職の信用を傷つけ、又は職員の職全体の不名誉となるような行為をしてはならない。

 

の意味である。特に教員は公務員の中でもその公の要素の数が多いのが特徴であろう。

 

また生徒側の「オオヤケ・ワタクシ」を考えたが、教師についてだけで文面を割ことにしたいので割愛する。

 

我が班が例として挙がったオオヤケ・ワタクシ問題

・警察官が未成年と付き合った場合…No(法というのが公の要素としてあるから)

・消防士が未成年と付き合った場合…?(班の意見がわかれた)

 

3、ネットの意見

県西部の県立高校で50代の女性教諭が長男が通う別の高校の入学式に出席するため、担任を務める1年生の入学式(8日)を欠席していたことが分かった。新入生の保護者らは「今の教員は教え子より息子の入学式が大切なのか」と困惑している。県教育局によると、県内の県立高校では、ほかに男女3人の担任教諭が子息の入学式出席を理由に休暇届を提出し、勤務先の入学式を欠席した。 関根郁夫県教育長は11日に開いた県立高校の校長会で「担任がいないことに気付いた新入生や保護者から心配、不安の声が上がった」と、この事実を報告した上で「生徒が安心して高校生活をスタートできる体制づくりと心配りに努めてほしい」と異例の“注意”を促した。 関係者によると、入学式の担任紹介の中で校長が女性教諭の欠席理由を説明。女性教諭は「入学式という大切な日に担任として皆さんに会うことができないことをおわびします」という文章を事前に作成し、当日、別の教諭が生徒らに配ったという。 来賓として入学式に出席した江野幸一県議(刷新の会)は「担任の自覚、教師の倫理観が欠如している。欠席理由を聞いた新入生たちの気持ちを考えないのか。校長の管理責任も問われる」と憤慨。

 県教育局は「教員としての優先順位を考え行動するよう指導する」としている。

 

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オオヤケ・ワタクシの考え方の応用として、上記の内容を考えてみよう。

まず、教員である以上、オオヤケの要素は同じ。またワタクシはこちらのほうがわかりやすく、「家庭」であろう。その共通部分で揺れ動いた、具合的には自分の息子の卒業式に出席するのか、それとも学校の入学式を優先するのかで揺れ動いたのがこの教員である。

 

実はネットの意見がわかれたのである。これをどう読み取るか?これを考える一つの補助線を次章に用意した。

 

 

4、自由と合理化と美徳と…。

ワタクシ・オオヤケにこの世間の目として「美徳」を取り上げた。

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3章の問題をどう考えるか?

美徳を一言で言うのは難しいのであるが、簡単にいえばモラルだと思う。自由と合理化とその共通部分であるところで揺れ動いた場合、この美徳というのを自分の中に入れて判断を下すべきだと思う。

この問題では、断り方が美徳の部分であろう。「彼女がいるから」と答えることにより、クラスの目線、世間の目線、教師間での自分etc…をモラルに反せずに守ることができた(と考えられる)。

少し強引であるが、この4章及びこれまでの考察を終えたいと思う。また、著者の願望でもあるのだが、この問題のまた違う補助線のひきかた、考え方を教えていただきたい。